時代が培養した、笑顔のアートとネットワーク /金子義則

 Merry Project誕生のきっかけは、まるで風のような出会いだった。アートディレクターの水谷孝次が99年春、アメリカを旅行中にバスの中で偶然居合わせた少女たちの笑顔をスナップした。そのくったくのない笑顔に、なごり惜しいような明るい幸福感が滲んで見えた時、水谷の中のこのプロジェクトを進める原動力に火がついた。前向きでポジティブな笑顔が自分の心を明るく照らしてくれたように、世界の未来を変えることができるかも知れない、と。
 Merryの持つアスペクトは1つではない。まずアートとして見るなら、アメリカで撮ったそのスナップが『Merry/終わらないメリーゴーラウンド』として刊行されたのが原形だ。しかし、その後早くも『Merry』は次の位相へと成長する。ラフォーレミュージアム原宿では、毎日のように水谷が原宿の街に立ち撮影した、少女たちの笑顔を展示。さらにどんな夢や憧れを抱いているのか少女たち自身が手書きで記し、それを話す声も会場で流された。少女たちがヒントをくれた「究極の幸せ」のビジョンが、街を動かすコミュニケーションアートとして培養され始めた。
アートディレクターとして実力が認められ、脚光を浴びるほど「魂を込めて生身の人間と接し、笑顔に触れたい」と思い続けてきた水谷自身の問題意識は、孤立無援ではなかったのである。「笑顔は世界共通のコミュニケーション」。アートでは括りきれないMerryのもう一つのアスペクトが形成されたのは、このキャッチフレーズが生まれた時から。社会的メッセージとしての"Merry運動"が実証の場を求めて世界へ足を伸ばしていった。原宿での展示を少しずつ進化させながら世界各地で、猛烈な勢いで撮影と展示を続行。5大陸23か国以上で撮影された2万人を超える人々の笑顔の写真や映像、言葉を上映した「愛・地球博」での「Merry EXPO」は、その実証活動の集大成だった。子どもたちの笑顔を、地球の未来を照らす光として捉え、「愛・地球広場」の巨大スクリーンに世界中の子どもたちの笑顔を投影、幸せを語る音声を流し続けた。インタラクティヴなエイターテインメント感覚は内外の来場者たちの心の琴線を捉えた。
 Merryの主旨に共感し、そのコミュニケーションパワーの魅力に心酔する人々がコミュニティを作って、日々拡大している。それがもう1つのMerryのアスペクトだ。震災復興後の神戸、札幌などだけでなく、テロ後のニューヨーク、モスクワ、アフリカ諸国など、笑顔が消えかけて見える土地にこそ、あえて水谷は足を伸ばした。負の遺産を乗り越えるためにMerryこそ、人々に輝きを取り戻すためのブリッジになり得ると直感していたのだ。「笑顔って、マイナス部分があればあるほど美しいんです。厳しい所で生きている子は『いま』の幸せをかみしめ、輝いていると思います」(水谷・朝日新聞の取材に答えて)。その現場でもこのプロジェクトに共鳴する有形無形のコミュニティが手足となって実現を支えてくれたという。今は、その仲間たちと一緒に、南アフリカに学校を建てるべく奔走し始めている。これまでの撮影旅行の中でも、ひときわ貧困ぶりに目を奪われたその地の子どもたちへ、眩しい笑顔への返礼をしたいという思いに駆られているのだ。
 水谷孝次のMERRYプロジェクトで撮影された膨大な数の「笑顔」を前にする時、ヒトの究極の表現ツールとしての顔、陽の表現としての笑顔の不思議が、僕の胸の中でひとり歩きを始める。1つ1つの顔がミニマルでリアリティある幸福観のアイコンでありながら、全体の集合として見る時、しっかりとした固まりでフィロソフィを形成して見せてくれるからだ。アートから生まれたコミュニティが草の根的に支える社会的メッセージ。このアイディアの無限の可能性に今、すくすくと心を開かれる自分を感じている。

[かねこ・よしのり/写真評論家]