六本木を形成するエレメント / 立川直樹

六本木には中学3年生ぐらいから遊びに来ていました。68年に西麻布に自分の部屋を借りてから今まで、ずっと六本木を見続けてきた。いろんなものが変わったんだけど、空気感は変わってない感じがします。

地形のせいもあるかも知れない。六本木の交差点があって、芋洗い坂が下りて、溜池へ坂になっている。霞町にも下りていく。放射状に坂が広がって、それで細かい路地が入り組む。その坂と路地の迷宮感が空気感を生んでいるんだと思う。

「高低差」も六本木らしさでしょう。丘の上のほうにはステイタスのシンボルのようなホテルオークラがあって、それを挟んでアメリカ大使館とロシア大使館が対峙している。外人ハウスや商社、お屋敷群がその周囲から広がっていて、西麻布や麻布十番のほうへ下りてくると庶民の地域になってくる。その何層にもおり重なった高低差がまさに六本木を六本木として形成している感じがしますね。値段の高い店も安い店も、玉石混淆です。

店はけたたましく変わっているし、風俗系の店があんなに来るとは思わなかった。でも考えてみたら昔からけっこう、怪しげな店が多かったんですね。直接的な風俗産業がなかっただけで、もっとエキゾチックな怪しさ。ガスパニックやサンクス・ゴッド・フライディ、ヘンリーアフリカとか、常に新しいものを事もなげに受け容れる土壌が六本木にはあるんです。

初めて六本木に来た頃も、エキゾチックな印象が強かった。後藤花屋の2階にディスコがあったり、その隣に沖縄の人がやってるナイトクラブ「ナイトアンドデイ」があった。香妃苑も当時からすでに古びていて香港っぽい。新宿とか青山とか、ああいう「町」ではなく、「街」という表記がぴったりくる感じでした。

そして、局地的な面白さがあったんです。ブライアン・フェリーは「キャンティ」が好きだった。「キャンティ」の地下も、きれいにしているわけじゃないけど、タイルの壁や30年も変わっていないようなテーブルクロス。何かスノッブっぽい感じが、あの店にはある。今はもうない、「ユーラシアン・デリカテッセン」はそこだけ本当にエドワード・ホッパーの絵みたいだった。店構えと店にいる人の佇まいが醸し出している何かがあった。

もともと街の人口が少なかったから、不特定多数相手できなく、相手の顔が見える商売をしている小振りな店が多かった。「キャンティ」に飯を食いに行く、「ユーラシアン・デリカテッセン」にチーズケーキやハムを買いに行く、「パブカーディナル」には植草甚一さんがいつもエスプレッソを飲みに来ていた。会う人はだいたい決まってるわけです。

その六本木がガラリと変わったタイミングがありました。たぶん、あの「サタデーナイトフィーバー」です。ディスコブームが起きた時に、それまで六本木には来なかったような人たちが、六本木の大型ディスコを目指して大量に乗り込んできた。それまでこの街が一つの見えない城壁に囲まれていたとしたら、それが崩れたんじゃないかな。未だに「ステイン・アライブ」を聞くと、悪魔の歌みたいに聞こえる。日本だけじゃない、世界中がサタデーナイトフィーバーで浮かれて変になったのかも知れません。

今、六本木6丁目の再開発など、また大きい変化の波が訪れているけれど、ここ10年ぐらい、六本木の荒廃ぶりがすごかった分、一度クリーンアップして欲しい。それが僕の期待することです。例えば六本木ヒルズができることによって、グチャグチャになってるところはもっと街の恥部みたいにグチャグチャになって欲しいと思う。都市というものは必ず、美しい、きれいな部分と、それと対称的な蛇の部分がないと面白くない。

ニューヨークはジュリアーニ市長がきれいにし過ぎちゃったから、タイムズスクエアがなんだかテーマパークみたいになってしまった。昔のブロードウェイで、きれいに着飾った人がリムジンで通る横を、娼婦やドラッグディーラーが歩いていて、ポルノショップがある、そんな感じがニューヨークの面白さだったんです。

10年前にベルリンの壁はなくなったけれど、旧東ドイツのエリアは、荒廃したままの広大な土地が手つかずで残っていました。場所はありあまっていた。そこが今は外壁だけ利用して改装したり建て替えたりして、すごくいいホテルやかっこいいレストラン、ギャラリーになったりしている。すごい勢いで変化しています。旧西ドイツはもともと繁栄していたから、今は新宿みたいになった。でもトレンディなやつは東へ遊びにいく。こうした対比も面白いですよね。

だから六本木ヒルズが全部きれいにクリーンアップしたら、そこから見下ろすところは非常にダウンタウン然とした邪の場所として存在してくれたほうが面白い。

そしてもう一回、みんなが集まって遊べる場所ができて欲しいですね。80年代のテクノブームの頃、インクスティックとかミントバー、レッドシューズはみんな松山君がやっていた。僕とかYMOの連中は必ずインクスティックに行くと、いつも自分たちの座る席に必ず座らせてくれる。スタジオから「これから行くから」と電話しておくと空いていて、食べたいものも用意していてくれる。その後、ミントバーに行くか、レッドシューズに行くか。朝方の4時くらいまでそういうふうにやってるわけ。その周辺に事務所のお友達とか編集者たちが惑星のようになって続く。星条旗通りを通って西麻布にいく、一つの潮の流れがあったったんです。

やはり六本木は人の魅力の街です。局地的な面白さは、企業が作ったものではなかった。個人営業というのはけっこう大事で、僕はたぶん10年後ぐらいの日本は、ものすごく大きい会社と、ものすごい小さい個人商店しか存在しなくなると思っている。中途半端な規模の会社なんて意味がなくなるかも知れないと思います。

街の個性というものはもはや、望んでもありえないものでしょう。ニューヨーク、ロンドン、パリ、と言っても新たな感動とか新たな恐怖はもうない。みんな平たく同じになってしまった。ヒットチャートを見ていても、流行るものが同じように串刺しで流行るようになったし、情報がものすごく早く来るから、どこか間で情報操作ができなくなってしまった。80年代ぐらまでは、どれが本当か、どこまでが真実か分からない部分があって、それが社会の構造全体を面白くしてたんじゃないかと思う。

例えば輸入家具の店。東京だけじゃなくて、いろんなところに出来ていますが、概して売れてない。なぜかというと簡単で、輸入家具を買える人たちは、自分で外国へよく行っている人たちなんです。そういう人は輸入の仕方を知っているし、原価も知っているわけで、だから買わない。レストランでも、人々が行かなくなってしまったのは、レストランで1万円くらいの食事をする人というのは、なんでも知識がある。そうすると店で買うと2200円のワインが、レストランに行くと5500円になっているし、サービス料もかかる。それを払うんだったら家で食べた方がいい。そうすると人が出掛けないから店のクオリティは落ちる。悪循環なんです。

今は政治やメディアも含めて、次のビジョンを持ちにくい時代ですが、今度は、ここまであからさまになってしまったら、その中で新しい価値観をどうやって作っていくかを早急に考えなければいけないでしょうね。そののためにもいろんな意味で、きれいなものは、きちんと作ったほうがいい。そうすれば六本木がまた次の時代の「街」のよき前例となれるかも知れません。


[たちかわ・なおき / エッセイスト]