吉田広二(編集者)

初めて就職した会社が六本木だった。都会のど真ん中、24時間眠らない街で働くということに興奮したり、大学時代とは比べものにならないほどお金がかかる昼食代に悲鳴を上げたりしたものだ。

六本木に慣れ親しむにつれて思い始めたことは、東京を特集するような雑誌の企画の中で、新宿について語る、渋谷について語るという切り口は数多いけれど、意外に六本木はなかなか語る対象に上がらない、ということ。路地にこびりついたような歴史が多い新宿に比べれば、六本木についてはおいそれと軽はずみなことは言えない。通に笑われるような知ったかぶりはできない、あるいは、上には上がいる、そんな雰囲気がある。ハイブローとローブローが表裏になったこの街だから、人を諫める力が備わっているのだ。

六本木をテストケースにして、いろいろな街が「都会」へと成熟してきた。しかしこの絶妙なバランスで支え合っているハイとローのあり方だけは、どこの街でもコピーできないところだ。そして、「六本木へ行く」と言った時の気分のかすかな高まりは、その会社を辞めてからもずっと続いている。イメージの"デフレーション"がない。そんな街は他にあるだろうか。

外国から友人が来ると、東京の流行の素早さに舌を巻くことが多い。それを追っているうちに、僕よりも流行に敏感になって、自慢げに帰っていくのだが、1年も経ってまた戻ってくると、そのブームはもうすっかりなくなっていたりする。そのブームが東京の象徴である命は非常に短い。しかし象徴しているのは新宿的な日本の都会であり、少し古くなったもの、手垢のついたものはすぐに交換可能という、政治風土にも地続きのような日本人の性である。新宿は一夜にして店が別の店に変わってしまう。あるファーストフード・チェーンは、三日で店を建てて一夜で撤収できる"フランチャイズ・セット"を持っているそうだが、まさにそんな感じだ。

しかし、新宿がそうしたファーストフード的なショートタームの街だとすれば、六本木はロングタームの街だと思う。もちろんスクラップ・アンド・ビルドは日々、繰り返されているけれど、街全体が長期的なビジョンの下で息づいている。誰がビジョンを作っているというわけでもないはずだが、そこに関わる大人の感性を持つ人々が、せかせかしないでゆっくりとこの街について考えている、と思わせる。街について軽口を叩けない雰囲気は、そういうところから生まれているような気がするのだ。

かつて、アメリカのグラフィック・デザイナーのマイク・ミルズがBig Magazine東京特集の中でのべた東京論が、僕はいまだに大好きである。「たぶん、東京カルチャーとは、トレンディとみなされている全ての西洋デザインが安住できる場所なのだろう。多くのクールなものが西洋で生まれ、日本でだけ手に入り、日本でのみ評価されている」。

同じ号で、ウィリアム・ギブソンが言う。「日本人は、社会学者がいうところの"第三の場所"を非常に知り尽くしている。そのアイディアは僕たち全てがハッピーであるために必要な3つの場所:家、仕事、そして…第三の場所。イギリスではその第三の場所はパブで、フランスではカフェで、日本だと例えばいくつか面白い第三の場所がある…全てのとるに足らないバーやコーヒーショップ、たとえティーンエイジャーが楽しむための場所でさえもね」

彼らのこの<東京哲学>を前にして、僕があれこれコメントする必要はもうあるまい。要するに、日本の現代都市の中において「安住の地」「第三の場所」が暗黙のうちに希求されてきた。六本木がたまたまその役目を自然に担い続けてきたのである。


[よしだ・こうじ / 編集者]