キリマンジャロ登頂記1
2011.01.19 2:39
過去を振り返り、未来に対する希望にときめく。
初日の出は世界中の誰にとってもすっごくMERRYな瞬間。
僕は今年の初日の出をどうしてもキリマンジャロのテッペンから見たかった。
たっちゃんと一緒に。
2010.12.28
僕たちはキリマンジャロの麓の町モシを出発し、マチャメゲートへと向かった。
メンバーは僕、ヒロシマン、ジョーちゃん、ムサシ、まみごん、ダイゴさん、
じゅんさん、マリリン、バッシー、貴ちゃん、タイシさん、コアラちゃんの12人。
タイシさんが当日にマラリアにかかる前までは…
彼とはウガンダの家に泊めてもらったりした仲で
登山前の急なリタイアは本当ににショックだった。
普段彼らはウガンダでボランティアとして活動している。
僕は今回縁あって彼らのチームの一員として登山することになったのだ。
車で30分ほどいくと標高1800mのマチャメゲートに着いた。
そこはすでに吐く息も白くなる寒さの場所。
登録を済ませ10:50、いよいよ登山開始。
リラックスしながら歩いていると深い樹林帯に入った。
シダが多く生い茂りジブリの世界に迷い込んだかのような幻想的な世界が広がる。
なんだか心がきれいになっていく感覚があった。
初日は無難に5時間の登山の末、マチャメキャンプへ着いた。
夜になると寒空の下、皆でキリマンジャロの夜空を見た。
そこには今までに見たことのない数の星があった。
ぱっと見てもオリオン座がどこにあるかわからない。
流れ星だって何度も見ることができた。
そして、その度に僕たちは登山の成功を祈っていた。
今だったらどんな願いも天まで届く、そんな気がした。
2010.12.29
予想以上の寒さとテント泊に慣れていなかったこともあり、
初日から全然寝ることができなかったが
空は晴れキャンプからはキボ峰を望むこともでき非常にすがすがしい朝だった。
2日目は
初日より険しく急な道のりが続いた。
しかし、低潅木帯を抜けた後の眺望が素晴らしく、
体全体でアフリカの大自然を感じることができた。
そんな中、メンバーのダイゴさんとじょーちゃんの様子が何かおかしい。
2日目にして早くも高山病の症状が出てきたのだ。
登山をするにあたって何といっても注意しなければならないのが高山病。
下山すると嘘のように治るというが、重症なケースは死亡することもある。
このとき初めてチームが2つに分かれた。
きつい人たち数人は休みながらゆっくりと2日目のキャンプ地、
標高3000Mのシラーケイブへと向かっていった。
僕たちのグループは他のところより群を抜いて人数が多い。
ポーターやガイドを含めると40人を超す。
大人数になると仲が悪くなったり、自分のペースで歩けなくなり、
誰か一人の足が止まってしまうと
他の人の足も止めてしまう可能性があるなど、デメリットが非常に多いといわれる。
しかし、僕がこのとき感じたものはそんなことではなかった。
先にキャンプ地に着いた僕たちは皆が皆同じことを思っていた。
彼らが無事にここまで辿りつけますように。
ごく自然で当たり前のようだが
たっちゃんのご両親に出逢った僕には
日本を離れて旅をしていた僕には
それがどれだけMERRYなことか痛いほどわかる。
心配ながらもいつも通りわいわい待ち続けるじゅんさんたちの笑顔が今でも忘れられない。
それだけに彼らが疲れはてながらもキャンプに到着したときは
本当に嬉しかった。
この日の夜、夕食後に年越しらしく書き初めと登頂したときに掲げる日の丸に寄せ書きをした。
それから、僕は皆の前で
キリマンジャロ登山をする本当の理由を明かした。
僕はどうしても登頂したかった。
“つながり”という名のMERRYは一年くらい旅した中で
知らず知らずに築いていた最も大事なことで、
それに気がつかせてくれたたっちゃんに感謝をしたい。
彼を想い写真展を開く者もいれば、ちょっとした
つながりからキリマンジャロに登る人もいる
これから先どうなるかわからないけど
とにかく、
僕が言いたいのは
人間はたとえ死んでも想いというつながりさえあれば
つながりの中を永遠に生き続けるんだということ
僕はそれを証明したかった。
次回へ続く