キリマンジャロ登頂記2
2011.02.02 2:25
2010.12.30
この日の朝 は非常に寒かった。
気がつくと干しておいたズボンが完全に凍っていた。
それぐらい寒かった。
それから
チームの中心的在のヒロシマンとジョーちゃんのリタイアが決定した。
結果を見て
何がいいとか、悪いとか
わかるのは結局今ではなくいつもちょっと先の未来にある。
今は悔しいかもしれないけど、
キリマンジャロ登山に対する想いが強くなったようだし、山はなくならない。
また登れば良い。何より、ヒロシマンとジョーちゃんはナイスカップルだ。
彼女のことを想い下山を決意したヒロシマンをリスペクトしたい。
そんな中
一人サングラスの下で泣いている子がいた。
貴ちゃんだ。彼女もまた特別な想いを持って登山をしている。
彼に誘われて参加したキリマンジャロ登山なのに、
彼は今ウガンダでマラリアで苦しんでいる。
何で私ここにいるんだろ〜なんて笑いながら言っていたけど
内心心配で仕方がなかったに違いない。
貴ちゃんとヒロシマンの決断は相反するものになったけど、一致する必要はないし
貴ちゃんにはタイシさんの分まで登ってほしいと思う。
また一つ登らなきゃいけない理由が増えた。
「つらい時こそ笑顔だよ!」
誰かが叫んだ。
確かにそうだ。
つらいとき、かなしいとき、寂しいとき
そういうときこそ笑顔が必要なんだ。
苦しいときが来るまで出し惜しみしていた笑顔の傘を
開くときがきた。
出発前に最初で最後のチーム全体で記念撮影をした。
3日目は体力的にも精神的にもキツイ登山となった。
30分ごとに大きく変わっていく天候に振り回されながら
標高3950Mにあるバランコキャンプへと向かった。
途中から旅立つ前に友達からもらった日の丸を使って
スピーカーをくくりつけ音楽を流したり、
笑顔の傘を開いたりしながら登山を楽しむようにした。
この高さまでくると辺りには見たことのないような植物が現れてくる。
ジャイアント・セネシオやジャイアント・ロベリア、
エバーラスティング・フラワーだ。
と言われてもせとんどの人はピンとこないだろう。
これがその植物。
僕はこれを魔界の植物と呼んでいる。
面白いのは植物だけじゃない。山は気分屋だ。
天気がコロコロ変わる。
晴れもあれば雨もあり、雪も降る。
24時間で天候をフルコースで体験できたりする。
簡単に言うと”過酷”である。
傘も油断すると凍り始める
軽い高山病になっているメンバーもいたけど
それでも最終的に全員無事キャンプにたどり着くことができた。
2010.12.31
年末といったら地元の友達に会ったり、
こたつに入りながらお笑い番組や紅白を見たり、そば食ったり。
生まれてから今までずっとそんな感じの年越しを繰り返してきた。
しかし、2010年最後の日、
僕はアフリカの最高峰を目指してただひたすら登山をしている。
そこには年末を感じるような要素は全くなく、
あったのは何千、何万年も変わることなく
アフリカの大地にそびえたつキリマンジャロの雄大な姿。
朝起きて皆でラジオ体操をして気合いを入れた。
今日はなるべく早くキャンプ地に着きたい。
でないと初日の出に向けた最終アタック前に仮眠取ることができなくなる。
バランコからカランガまでは、高度順応も兼ねて約3時間の軽い歩き。
のはずだったが朝一番でいきなりこの登山最大の難所
バランコ・ウォールに差し掛かった。
完全にロッククライミング状態。
足を踏み外すと命はない。
少し進む度にメンバーがスリップしてこけそうになった。
冷や汗もんである。
しばらくすると、そこには絶景という名にふさわしい景色が広がっていた。
自然ってすごいな。シンプルだが僕のこの時の感想はこれしかなかった。
カランガキャンプで昼食をとり、バラフキャンプへと向かった。
ここまでくると辺りには植物は見当たらない。
あるのは岩のみ。
いよいよ結構な高さまできた。
標高4600Mバラフキャンプに着いた。
気が付いたら富士山の高さをとっくに超えていた。
ここまでくるとさすがに皆きつそうだった。
僕だって例外ではない。
途中から頭がガンガンに痛い。
深呼吸をして意識的に空気を吸わないとご飯を食べることすらできない。
メンバーの中で一番深刻だったのがまみごん。
普段はよく食べる人なんだが今日は全然食べれていない。
おまけに数回おう吐している。
4日目はそんな調子の中で登山をしていたので結局、
キャンプに着いたときは18時を過ぎていた。
ちなみに最終アタックは23:30スタートだ。
今すぐにでも仮眠を取りたい!
でも飯を食べないとアタックのときに力がでなくなってしまう・・・
そんなもどかしさの中19時ごろにできた夕飯を早々に食べ終え皆仮眠をとるため寝袋に入った。