日本とタイの架け橋、古都アユタヤの遺跡。
日本人町もあった東南アジアを代表する歴史都市、アユタヤ。
アユタヤは、バンコクから北へ約80キロ、チャオプラヤー川と
その支流に囲まれた中州(島)にある都市である。
17世紀前半、朱印船貿易の最盛期には、1500人程度が住む日本人町ができていた。
アユタヤが世界文化遺産に登録されたのは1991年のこと。
アユタヤは日本でも人気の高い観光都市となり、
毎年多くの日本人観光客が訪れ、日本とタイの交流が深まりつつある。
そんなアユタヤは2011年、1年前に未曾有の大洪水の被害を受けた、
アユタヤの日本企業の工業団地でも最大で3m程度浸水し、それが40日程度続いた。
世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額の大きさでは
1)東日本大震災、2)阪神淡路大震災、3)ハリケーン・カトリーナ
に次ぐ史上4位である。
この洪水は「水量と被害を受けた人数(250万人)に関して最悪の洪水」であると言われている。
世界文化遺産に登録された古都のアユタヤ遺跡も、2m程度浸水した。
そんなアユタヤの地で、東松島の浜市小学校の子どもたちの笑顔の傘を開き、
2つの国を笑顔で繫いだ。
今回このプロジェクトを快く引き受けてくれたのは、
遺跡の近くにあるSIRISENA WITTAYA SCHOOLの子どもたち50人。
タイ、日本どちらも、昨年大きな自然災害があったが、
それを乗り越え、未来に向かって、大きな強い大人になってもらいたい。
そんな思いからだ。