あの日から24年、明日へ。神戸1.17。<中編>
情熱大陸で放映された
MERRY PROJECT、ソーシャルデザインの原点は、
すべて1995年1月17日から始まった。
1995年阪神淡路大震災の支援ポスターから
1999年MERRY PROJECTがスタートし、
2001年・2002年 MERRY IN KOBE
2002年 9.11から1年後の MERRY IN NEWYORK
2009年 スマトラ地震から5年後の MERRY IN SUMATRA
2009年 中国・四川大地震から1年後の MERRY IN SHICHUAN
2011年 東日本大震災復興支援 MERRY SMILE ACTION
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転機は1995年に訪れる。
友人のカメラマンが撮影した阪神淡路大震災。
見せてもらったフィルムの端に
装填時に光を浴びたカットがあった。
心が震えた。
駆り立てられるように
そのカットを中心に、支援キャンペーンのポスターを作った。
作りものでは決して出せないリアリティに
新たなデザインの可能性を感じた。
1999年 仕事先で出会った子どもの笑顔に
進むべき方向を教えられた。
「この子どもたちの笑顔ってなんか好きだよね、とか
次の21世紀だよね、とか大事だよね、これからだよねと思った」
以来、水谷はどこへ行くにも、カメラを手放さなくなった。
ニューヨーク
インドネシア
あの四川大地震が起きた現場にも、足を運んだ。
2009年6月 中国・四川省
復興を待つ、がれきの街で、
子どもたちの無垢な笑顔を撮って歩いた。
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2010年1月10日放送「情熱大陸」より
https://www.dailymotion.com/video/x5pemmd
そして、MERRY IN KOBEの際、
プロサッカー選手の三浦知良さんより、いただいたメッセージです。
「神戸をMerryにするために」 三浦知良
私はこの街が好きだ。
この縁を大切にしていきたいと思う。
街かどや“Cafe”でよく声をかけられる。
みんな一様に温かく接してくれる。
その温かさの中に、震災を乗り越えてきた
神戸市民のポジティブな姿勢を感じる。
この気持ちに応えるには「ヴィッセル神戸」で勝つことだ。
みんなで力を合わせて勝利につなげていきたい。
見に来てくれたみんなが楽しんで、
幸せな気持ちになってもらえたら嬉しい。
だから勇気を持って前向きに進んでいこう。
かつて神戸市民が努力と助け合いでそうしてきたように。
[みうら・かずよし/プロサッカー選手]
MERRY IN KOBEの際、神戸新聞社 記者であり、
ジャーナリストの今泉欣也さんより、
MERRYPROJECTに寄稿していただいたメッセージです。
「Welcome to KOBE – Merry Projectの軌跡」
「言葉や文化の違いを超えて、
全ての人を幸せな気持ちにさせる世界共通の表現」―。
強い信念の下、水谷孝次は3年前から”笑顔”を撮り続けている。
伝えたいことは、いたってシンプル。
景気低迷、凶悪犯罪、民族間紛争…。
暗い話題が続き、社会全体がうつむきがちな今だからこそ
「一人ひとりが笑顔を見せて、世の中を少しずつでも元気にしていこう」。
写真は巨大ポスターに加工。
笑顔の写真展「メリー・プロジェクト」と題し、
撮影した各地で展示している。Merry(メリー)とは、
幸福、楽しいなどを意味する。
撮影場所での水谷は、いつも笑顔を絶やさない。
「撮りますよ。じゃ、笑ってください」。
手にはコンパクトカメラが2台。
「まず1台目で普通にシャッターを切る。
そうすると、レンズを向けられた緊張から解き放たれて、
余分な力がフッと抜けた、何とも自然な表情が出るんです。
いわゆる素の自分。その瞬間を2台目でおさえる」。
作られた表情はいらない。
周りを気にせず、心の底から浮かべたMerry。
水谷は鏡となり、モデル自身を映し出す。
メリー・プロジェクトはこれまで世界6都市で展開してきたが、
中でも神戸は、水谷にとって特に印象深いまちとなった。
2001年9月、震災復興記念事業の一環で開かれた
「Merry in KOBE(メリーイン神戸)」。
被災地の女性約500人をカメラに収めた。
忘れもしない24年前の阪神・淡路大震災。
6000人を超える尊い生命が奪われた。
その、計り知れない絶望からはい上がった人たちの笑顔には、
「これまで感じたことのないパワーがあった」。と同時に
「震災から7年でサッカー・ワールドカップ(W杯)を開くまで
復興を遂げた神戸というまちに、驚いた」。
このまちと、人々―。世界に広く知ってもらいたい。
そう思っていた矢先、W杯神戸開催推進委員会から
1本の企画が飛び込んできた。
「世界中から訪れる人たちを笑顔で迎えたい」。
2002年春、新たなメリー・プロジェクトが神戸で動き出した。
アートディレクターの肩書を持つ水谷は、
ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展金賞、
ニューヨーク・ADC国際展金賞、
コロラド国際ポスター招待展最高賞など、
国内外で数々の賞に輝いたグラフィックデザインの第一人者。
全日空やサントリーといった有名企業の広告ポスターを数多く手掛けてきた。
「80年代はバブルの全盛期で、広告はお金になった。
寝るのを惜しんで、がむしゃらに働いたこともあった」。
しかし、バブルの崩壊によって各企業とも経営が苦しくなり、広告業界もそのあおりを受けた。
と同時に、水谷の心の中でも、これまで少しずつたまっていたうっ積が破裂していた。
「正直なところ、テーマに合った表情を演出したり、
意図的につくり出すことに、うんざりしていた」。
目先の利益や資金などにとらわれず、社会にインパクトを与える、メッセージ性のあるポスターができないか―。
そんなとき出会ったのが「Merry」だった。
1999年春、旅行先のアメリカで乗車したバスの中で、
3人の少女が浮かべた笑顔に思わずシャッターを切った。
「ごく自然な表情から、前向きな意思、
幸せな気持ちがひしひしと伝わってきた。
これこそ究極の幸せじゃないか、そう実感しました」。
半年間の構想を経て、当時撮影した200枚を超えるスナップは30枚に厳選。
写真集「Merry」として出版された。
「世紀末だからといって暗い話ばかりしてないで、
もっとポジティブに生きてほしい。21世紀を明るく迎えたい」。
水谷自身、何ができるかを考えた末に打ち出した答えだった。
この出版を機に、プロジェクトは形となって動き出した。
同年11月、モリ・ハナエ・オープン・ギャラリー(東京都)で
初めて写真展を開催。
原宿や池袋では、巨大ビジョンを使って1分間の映像にまとめたMerryを紹介。
コンクリートジャングルの中で何気なく時を過ごす人たちに、
一服の安らぎを吹き込んだ。
2000年1月の「Merry at Laforet 2000」(ラフォーレミュージアム原宿)。
「Merryの楽しさ、素晴らしさをより多くの人に実感してもらうには、
少し本を離れてもいいのでは」と、
水谷は若者のまちに飛び出し、
少女たちの飛びっきりの笑顔をポスターに加工。
バスのスナップとともに、会場を埋め尽くした。
さらに、期間中はデジタルカメラと大型プリンターを持ちこみ、
オリジナルポスターをその場で制作。
鑑賞に訪れた人も自らMerryに参加してもらった。
「あそぶの大すき」「将来はBIGになるぞ」。
笑顔に込めた思いや夢、自分にとってのMerryとは何か―。
ポスターにはそれぞれ、手書きのメッセージを添えてもらった。
12日間で、約8000人が幸せに触れた。
同年5月、米ニューヨークで「Merry at New York」を開催。
プロジェクトは海を渡った。
そして、会場を訪れた水谷は心の中で叫んだ。
「笑顔は言語や文化を超えたんだ」。
日々、進化するMerry。
2001年5月、日英同盟締結100周年記念イベント(JAPAN 2001)の一環で
開かれた「Merry-London Life(東京)、Tokyo Life(ロンドン)」。
ロンドンと東京をインターネットで結び、
例えば自宅のパソコンやデート中の携帯電話から送ったMerryのメッセージが、
両会場の画面にオンタイムで映し出された。
あるロンドンの雑誌は、Merryをこう分析した。
「笑顔で明日に突き進む。ハイカラなアートだ。
なぜなら、(少女たちの笑顔が)まだわれわれの知らない未来の一瞬を、
暗示しているからだ」。
1995年の震災後、支援ポスター、チャリティTシャツを制作するなど
アートの分野から復興支援に携わった水谷にとって神戸でのMerry展開催は、
以前から考えていた。
そんなとき、まちの復興に取り組む人々、
数多くの支援に感謝の気持ちを届ける
「神戸21世紀・復興記念事業」の存在を知った。
趣旨に賛同し、市にプロジェクト企画を提案。
2001年夏、思いは実現した。「Merry in KOBE 2001」。
撮影は復興のシンボル、ポートアイランドのヒマワリ畑で。
うだるような暑さの中、生後8カ月から97歳までの女性たちが、
生き生きとした表情で白い歯を見せた。Merry。
でも、いつもと違う。水谷はレンズ越しに直感した。
撮影の合間、1人ひとりと言葉を交わし、笑顔に込めた思いを知った。
胸を打った。
「家族や友人を亡くした人もいれば、自宅が全壊した人も。
直接被害に遭わなくても、みんな心に大きな傷を負ってる」。
涙が止まらない。
だけど、立ち上がらなくちゃいけない。
そして震災から6年。
Merry展は9月13日から2週間、ハーバーランド(神戸市中央区)の
オーガスタプラザなどで開かれた。
市民に交 じって、たくさんの観光客も来場。
未曾有(みぞう)の災害を乗り越えたまちと、
幸せいっぱいのポスターに足を止め、目元を緩めた。
「パパだいすき」「みんなをシアワセにできる私になりたい」。
頭に真っ白の花を挿した少女は、しっかりとした字で記した。
「神戸、大好き」。
2002年、日韓共催で行われるサッカーW杯。
神戸も開催都市に選ばれ、会場の神戸ウイングスタジアム(同市兵庫区)を
中心に、
選手や世界中から訪れるサポーターを迎える準備が着々と進められている。
しかし、市民レベルではいまいち盛り上がりに欠けている。
「サッカー? 別に興味ないから」「フーリガンが来たらどうなるのか」。
マイナスイメージばかりが先行する。
本番まで半年を切り、関係者はPRに奔走した。
2001年末、市などでつくるW杯神戸開催推進委員会にアイデアが浮かんだ。
「9月にやってた笑顔の写真展。あれいいんじゃないですか」。
W杯はオリンピックを上回る世界最大のスポーツの祭典。
「国内だけじゃなく、世界の人々に神戸を知ってもらうチャンス。
震災時の支援に対する感謝の気持ちや、復興に向けて歩むまちのエネルギーを笑顔でアピールできれば、少しずつでも盛り上がっていくはず」。
企画はさっそく水谷に伝えられた。撮影は年明けにスタート。
毎週のように東京―神戸間を往復し、スタジアムだけでなく、
灘の酒蔵や長田の再開発工事現場など、
市内各地で飛びっきりの笑顔を集めた。
その数は300人を超えた。
そして3月、神戸のまちに再びMerryが出現した。
JR神戸駅の地下街。サッカー少年や市バスの運転手、
民族衣装の外国人が呼び掛ける。
「笑顔で待っています」「日本代表がんばれ!」。
真ん中に躍る色とりどりの文字。
「WELCOME TO KOBE(ようこそ神戸へ)」。
水谷は週末、会場に足を運び、モデルたちとの再会を楽しんだ。
「こうして僕自身、新しいMerryをもらえるんです」。
5月までに500人分の笑顔を集め、ポスターを市内の主要駅などに張り出す。
新長田駅南の再開発現場では、
工事用フェンスを大きく引き伸ばしたポスター22枚で飾った。
「まちが明るくなっていいわねえ」と、地域住民の評判も上々だ。
「言葉がなくても、笑顔でコミュニケーションはとれる。
みんなにっこりほほ笑んで、幸せになろう」。
そう言って水谷は、カメラ2台を持って、再びまちへと繰り出した。
まだ知らない、Merryを求めて―。
[いまいずみ・きんや / ジャーナリスト]