「言葉や文化の違いを超えて、全ての人を幸せな気持ちにさせる世界共通の表現」―。強い信念の下、水谷孝次は3年前から"笑顔"を撮り続けている。伝えたいことは、いたってシンプル。景気低迷、凶悪犯罪、民族間紛争…。暗い話題が続き、社会全体がうつむきがちな今だからこそ「一人ひとりが笑顔を見せて、世の中を少しずつでも元気にしていこう」。写真は巨大ポスターに加工。笑顔の写真展「メリー・プロジェクト」と題し、撮影した各地で展示している。Merry(メリー)とは、幸福、楽しいなどを意味する。撮影場所での水谷は、いつも笑顔を絶やさない。「撮りますよ。じゃ、笑ってください」。手にはコンパクトカメラが2台。「まず1台目で普通にシャッターを切る。そうすると、レンズを向けられた緊張から解き放たれて、余分な力がフッと抜けた、何とも自然な表情が出るんです。いわゆる素の自分。その瞬間を2台目でおさえる」。作られた表情はいらない。周りを気にせず、心の底から浮かべたMerry。水谷は鏡となり、モデル自身を映し出す。メリー・プロジェクトはこれまで世界6都市で展開してきたが、中でも神戸は、水谷にとって特に印象深いまちとなった。2001年9月、震災復興記念事業の一環で開かれた「Merry in KOBE(メリーイン神戸)」。被災地の女性約500人をカメラに収めた。忘れもしない7年前の阪神・淡路大震災。6000人を超える尊い生命が奪われた。その、計り知れない絶望からはい上がった人たちの笑顔には、「これまで感じたことのないパワーがあった」。と、同時に「震災から7年でサッカー・ワールドカップ(W杯)を開くまで復興を遂げた神戸というまちに、驚いた」。このまちと、人々―。世界に広く知ってもらいたい。そう思っていた矢先、W杯神戸開催推進委員会から1本の企画が飛び込んできた。「世界中から訪れる人たちを笑顔で迎えたい」。2002年春、新たなメリー・プロジェクトが神戸で動き出した。
アートディレクターの肩書を持つ水谷は、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展金賞、ニューヨーク・ADC国際展金賞、コロラド国際ポスター招待展最高賞など、国内外で数々の賞に輝いたグラフィックデザインの第一人者。全日空やサントリーといった有名企業の広告ポスターを数多く手掛けてきた。「80年代はバブルの全盛期で、広告はお金になった。寝るのを惜しんで、がむしゃらに働いたこともあった」。しかし、バブルの崩壊によって各企業とも経営が苦しくなり、広告業界もそのあおりを受けた。と同時に、水谷の心の中でも、これまで少しずつたまっていたうっ積が破裂していた。「正直なところ、テーマに合った表情を演出したり、意図的につくり出すことに、うんざりしていた」。目先の利益や資金などにとらわれず、社会にインパクトを与える、メッセージ性のあるポスターができないか―。そんなとき出会ったのが「Merry」だった。1999年春、旅行先のアメリカで乗車したバスの中で、3人の少女が浮かべた笑顔に思わずシャッターを切った。「ごく自然な表情から、前向きな意思、幸せな気持ちがひしひしと伝わってきた。これこそ究極の幸せじゃないか、そう実感しました」。半年間の構想を経て、当時撮影した200枚を超えるスナップは30枚に厳選。写真集「Merry」として出版された。「世紀末だからといって暗い話ばかりしてないで、もっとポジティブに生きてほしい。21世紀を明るく迎えたい」。水谷自身、何ができるかを考えた末に打ち出した答えだった。
この出版を機に、プロジェクトは形となって動き出した。同年11月、モリ・ハナエ・オープン・ギャラリー(東京都)で初めて写真展を開催。原宿や池袋では、巨大ビジョンを使って1分間の映像にまとめたMerryを紹介。コンクリートジャングルの中で何気なく時を過ごす人たちに、一服の安らぎを吹き込んだ。2000年1月の「Merry at Laforet 2000」(ラフォーレミュージアム原宿)。「Merryの楽しさ、素晴らしさをより多くの人に実感してもらうには、少し本を離れてもいいのでは」と、水谷は若者のまちに飛び出し、少女たちの飛びっきりの笑顔をポスターに加工。バスのスナップとともに、会場を埋め尽くした。さらに、期間中はデジタルカメラと大型プリンターを持ちこみ、オリジナルポスターをその場で制作。鑑賞に訪れた人も自らMerryに参加してもらった。「あそぶの大すき」「将来はBIGになるぞ」。笑顔に込めた思いや夢、自分にとってのMerryとは何か―。ポスターにはそれぞれ、手書きのメッセージを添えてもらった。12日間で、約8000人が幸せに触れた。同年5月、米ニューヨークで「Merry at New York」を開催。プロジェクトは海を渡った。そして、会場を訪れた水谷は心の中で叫んだ。「笑顔は言語や文化を超えたんだ」。日々、進化するMerry。2001年5月、日英同盟締結100周年記念イベント(JAPAN 2001)の一環で開かれた「Merry-London Life(東京)、Tokyo Life(ロンドン)」。ロンドンと東京をインターネットで結び、例えば自宅のパソコンやデート中の携帯電話から送ったMerryのメッセージが、両会場の画面にオンタイムで映し出された。あるロンドンの雑誌は、Merryをこう分析した。「笑顔で明日に突き進む。ハイカラなアートだ。なぜなら、(少女たちの笑顔が)まだわれわれの知らない未来の一瞬を、暗示しているからだ」。
1995年の震災後、支援ポスター、チャリティTシャツを制作するなどアートの分野から復興支援に携わった水谷にとって神戸でのMerry展開催は、以前から考えていた。そんなとき、まちの復興に取り組む人々、数多くの支援に感謝の気持ちを届ける「神戸21世紀・復興記念事業」の存在を知った。趣旨に賛同し、市にプロジェクト企画を提案。2001年夏、思いは実現した。「Merry in KOBE 2001」。撮影は復興のシンボル、ポートアイランドのヒマワリ畑で。うだるような暑さの中、生後8カ月から97歳までの女性たちが、生き生きとした表情で白い歯を見せた。Merry。でも、いつもと違う。水谷はレンズ越しに直感した。撮影の合間、1人ひとりと言葉を交わし、笑顔に込めた思いを知った。胸を打った。「家族や友人を亡くした人もいれば、自宅が全壊した人も。直接被害に遭わなくても、みんな心に大きな傷を負ってる」。涙が止まらない。だけど、立ち上がらなくちゃいけない。そして6年。Merry展は9月13日から2週間、ハーバーランド(神戸市中央区)のオーガスタプラザなどで開かれた。市民に交 じって、たくさんの観光客も来場。未曾有(みぞう)の災害を乗り越えたまちと、幸せいっぱいのポスターに足を止め、目元を緩めた。「パパだいすき」「みんなをシアワセにできる私になりたい」。頭に真っ白の花を挿した少女は、しっかりとした字で記した。「神戸、大好き」。
2002年、日韓共催で行われるサッカーW杯。神戸も開催都市に選ばれ、会場の神戸ウイングスタジアム(同市兵庫区)を中心に、選手や世界中から訪れるサポーターを迎える準備が着々と進められている。しかし、市民レベルではいまいち盛り上がりに欠けている。
「サッカー? 別に興味ないから」「フーリガンが来たらどうなるのか」。マイナスイメージばかりが先行する。本番まで半年を切り、関係者はPRに奔走した。2001年末、市などでつくるW杯神戸開催推進委員会にアイデアが浮かんだ。「9月にやってた笑顔の写真展。あれいいんじゃないですか」。W杯はオリンピックを上回る世界最大のスポーツの祭典。「国内だけじゃなく、世界の人々に神戸を知ってもらうチャンス。震災時の支援に対する感謝の気持ちや、復興に向けて歩むまちのエネルギーを笑顔でアピールできれば、少しずつでも盛り上がっていくはず」。企画はさっそく水谷に伝えられた。撮影は年明けにスタート。毎週のように東京―神戸間を往復し、スタジアムだけでなく、灘の酒蔵や長田の再開発工事現場など、市内各地で飛びっきりの笑顔を集めた。その数は300人を超えた。そして3月、神戸のまちに再びMerryが出現した。JR神戸駅の地下街。サッカー少年や市バスの運転手、民族衣装の外国人が呼び掛ける。「笑顔で待っています」「日本代表がんばれ!」。真ん中に躍る色とりどりの文字。「WELCOME TO KOBE(ようこそ神戸へ)」。水谷は週末、会場に足を運び、モデルたちとの再会を楽しんだ。「こうして僕自身、新しいMerryをもらえるんです」。5月までに500人分の笑顔を集め、ポスターを市内の主要駅などに張り出す。新長田駅南の再開発現場では、工事用フェンスを大きく引き伸ばしたポスター22枚で飾った。「まちが明るくなっていいわねえ」と、地域住民の評判も上々だ。「言葉がなくても、笑顔でコミュニケーションはとれる。みんなにっこりほほ笑んで、幸せになろう」。そう言って水谷は、カメラ2台を持って、再びまちへと繰り出した。まだ知らない、Merryを求めて―。 |