「僕の部屋は東京より面白い」。84年に売り出された"WAVE"という名のコンポーネントAVシステムの広告コピーは、こう謳っていたものだ。"WAVE"は文字通り六本木に当時誕生した音楽とビジュアル・カルチャーのシンボル的な複合コンセプトビルの名前とリンクされた、今でいうマルチ・コーポレーテット・ブランドの類いであった。僕の中でこのコピーは「書を捨て、街へ出よ」と言った寺山修司時代の都市論へのアンチテーゼであり、都市の中で他者との関わることの「鬱陶しさ」へノーと言うことをタブーとしない、オタク・カルチャー形成への入口を示唆していたように思えた。
機能性イメージを打ち出す黒と銀で配色されたビルの、表壁面には小さなテレビモニターを、ビル裏にはホログラフィで映し出された"バーチャル地蔵"をそれぞれ埋め込んでいたWAVEビルの設計コンセプトは、そのまま、80年代の近未来ヴィジョンの体現であったと言えるだろう。
六本木は確かに、東京の近未来イメージの実験場だ。多様な人種、クラブカルチャーや夜の社交場が六本木であり、クリエイティヴな人々がクロスする場として、常に若者たちに先端のカルチャーの香りを伝えてきたのだ。そうした階層の人々のコミュニティに相応しいアウトルックの都市像を六本木は試行錯誤してきた。ところが六本木に限らず、コミュニティと大衆意識、実際の都市像は、IT時代の登場を境に、必ずしもリンクしなくなってきている。
「住宅事情の劣悪な東京の家族は、第2のリビングを自家用車に求めている」と言ったのは、藤原新也である。だから自家用車は移動の手段である以上に、もう一つの居間であり、それをどう快適な空間にするかに、日本人は腐心してきたのだ。さらに、そのストレス過多な狭い住宅環境の中で、人々のイマジネーションは広大に拡がり続けてきた。たとえ4畳半の居間に住みながらも、手塚治虫以降、テクノロジーの進化を背景にしたSFをどんどん生産してきたのだ。イマジネーションだけは日本家屋の狭い間取りをはるかに超え、宇宙へ飛び出してきた。
また、例えば「ドラえもん」は、空間のねじれを利用して、「どこでもドア」で異空間へと1歩で移動できるばかりではない、そのおなかのポケットは無限の宇宙と同じであり、その中からさまざまなアイディアの便利グッズが登場する仕掛けになっている。「ドラえもん」の、ふっくら丸いフィギュアを可愛いものとして、そのキーホルダーを身につける人々の何割かは、そうした日常を超越したイマジネーションの広大な敷地の中にたたずむ恍惚をも一緒に、たずさえているのである。
東京のユース・カルチャーにおける「絵画化傾向」も、興味深い実例となる。コミックの世界で起きていることと実生活との混乱は以前から、ここではよく起きていたことだが、それにも増して、絵に描かれたキャラクターやその物語性に自分を乗り移らせて陶酔する、という自己逃避にも似た行為は、潜在的にエスカレートしつつある。絵として鑑賞するだけでなく、そこに自分を照らし合わせる。自分を可愛い絵に置き換えることによる幸せの希求。それは日本の伝統でいえば、絵巻物の文化に似ているだろうか。文字による描写を排して、ひたすら絵によって物語を「語る」という絵巻物という芸術の方法論は、極めて今日的な娯楽に思えてくる。
こうしたイマジネーションの宇宙を「都市的な恍惚」と呼ぶならば、その恍惚は、実際の都市空間のデザイニングに必ずしもリンクしなくなっているのではないか。恍惚の質を共有するもの同士がコミュニティを形成しているのであって、都市の雰囲気がどのようなコミュニティのイマジネーションを湛えているかとは、乖離しつつあると思うのだ。
よく似た検証の場として、空港という空間がある。国際線の空港ロビーのムードは不思議だ。いろんな人種の人が、一定の秩序に従って手続きをしたり、くつろいだりしている。ローカルな慣習など通じない、ただそれらがそぎ落とされた後に残る「人類のルール」が静かに機能している場だ。ところが、誰もそれを1つのコミュニティとして見る人はいない。あくまで、手続きのために離合集散している場であって、各人それぞれに所属しているコミュニティがある。IT革命以後のいわゆる"グローバル・ヴィレッジ"とはこのような様相といえばいいだろう。
90年代、東京はインターナショナル・シティとしての自己陶酔を加速していったかも知れないが、海外の都市では、次々と「東京化」が進んだとも言えよう。ファッション誌では95年以来、多くの「東京特集」が組まれ、無数の「東京的なアイディア」が紹介されていった。
コンテンポラリーアートの分野で、センスが東京的に偏るムーヴメントすら目立つように思う。
例えばロンドンの新鋭イラストレーター、ジェームス・ジャービスの世界。「ソニー」やストリートファッションブランドの広告、または大人向けのファッション誌のグラフィックページで、彼が描く下膨れ顔のキャラクターが急激にヒットした。彼の絵の特徴は、スヌーピー的に淡々とした日常スケッチ風のテンポながら、キャラクターが住む世界が僕らが普段暮らしている今のままのような演出がされていることだ。プレステやパソコンが部屋にあって、ナイキのシューズでスケートボードを抱えて外を歩く。
未来でも過去でもない。東京でも欧米でもない。しかしこうしたコミック・キャラクターが20代以上の大人中心に受けるという構図は従来なら、月曜日の朝の電車が「週刊少年ジャンプ」を手にしたサラリーマンで満席になる日本マーケットならではの感覚だったはずである。テレビゲーム世代の感性は世界共通で、日本に対する憧憬はあっても、偏見は何もない。
この絵の感覚がロンドンやニューヨーク、その他、どこでも受け容れられるものだとすれば、日本が世界標準化するよりも、むしろ世界が東京化する流れだということになるだろう。世界のどこにいても、一歩足を踏み入れた先に東京的なものがあり、さらにショップの一角や個人宅の一角が東京的な趣に満たされているとすれば、もはや、ロンドン的、東京的、バンコク的、というふうな地理的な所在地の意味は、景観に過ぎないことになる。それは、テレビゲームをする人としない人に、人類が二分類化できることに似ているだろうか。
このように、都市は多種多様なイマジネーションがいくつものフロアでクロスし合い、都市自体「空港化」しているのだと思う。ドラえもん、ジェームス・ジャービス、ソニー、ナイキ…。それぞれの祭壇の回りに個々のコミュニティが生まれ、電子レベルにせよ、マニュアルな方法にせよ、そのコミュニティ内での人々の交感が行われる。10代の若者にとって携帯が「世界」そのものと化していると言われるのも、まさに空港化の時代ならではのリアリティだ。都市計画と開発の中にある六本木は、ただ地理・景観的に激変しているのではない。都市の実空間の構成と、イマジネーションの構成、その座標が音もないままハイスピードで動いている時代における都市の、新しい姿を模索しているのだ。「僕の部屋」に「東京」が追いつこうとしている。その意味においてなら、六本木はまた、次のカルチャーへと誘うランドマークとしての地位を保ち続けるだろう。
水谷孝次による「メリー」プロジェクトは、そうした時代に、インスピレーションの細い糸で絡みつきながら、次第に太い縄のようにつながれるに至った、そんなアートである。「21世紀に向けてもっとも求められるものは、希望に満ち溢れた笑顔」――。そう考えた彼は、原宿に集まる個性的な少女たちにそのエネルギーを見い出し、2000人近い原宿の少女たちの飛び切りの笑顔を、世界の今を最も象徴する光景として自ら、延々と撮影してきた。2000年1月にラフォーレ原宿を舞台に「Merry」展として開催されて以来、内外で共感の輪を広げている。個々人の「顔」を猛烈な量、猛烈なスピードで駆け抜けていく、ただそれだけの写真群ながら、確かに次なる時代へのポジティヴなパワーに満ちて、見る者に明るい気持ち、未来へのヴィジョンをじんわり抱かせる、という点においては、彼のいうように、ある種のコミュニケーションの話法としてのアートになり得ているのだろう。そしてその「メリー」が六本木で展開されたとしても、地理的な位相を超えて、ただそれぞれの人間たちの内にある刹那と恍惚が滲みあがってくるのである。
「メリー」が、音もなき座標軸の変動の時代の中で、それぞれの恍惚をたずさえながら生きている生命体へ等しく響きわたるのだとしたら、これはもはや、ラブソングだというしかないと思う。
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