MERRY MEMBER


Profile
Toh

年齢不明、謎の日本画家。Merryの大ファン。
先日も横山大観と共に展覧会を開催。
雨が降る Last Updated 2004.05.18

雨が降る
山の岩間に雫が落ち
森林から沸き出すものと共に小さな流れとなって渓流と化し
やがて川幅を広げ陸を別ける大河となる
その流れが海へと続き
日に照らされ水蒸気となって雲を創り
その塊が風に圧され山にあたり
そしてまた
雨が降る

そんな大きな力をぼくは神様だと想ふ

笑顔とはそんな神様が与えてくれた贈り物だ。
みんなが笑う。そこにはそれが乱れるように整然と存在する。
もちろんその相対的なものとして悲しみや怒り憎しみも存在する。だが、それがあるが故にその贈り物がとりわけ美しく輝くのだろう。そう、そうであってほしい。

水谷さんの創るそれは作品自体のクウォリティーも極めて高い。ポスターをはじめチラシに至るすべてのものがそのものの価値としてすばらしい。アートという脆く弱々しいガラスの箱をぶっ壊して一般大衆にまで伝わるその何かは時代も環境も人種も国境も超え皆に同様の何かを伝える。そこが羨ましくもあり妬ましく口惜しくもある。「うらやましいしくやしい」まさに「うらくや」だ。氏は飄々とその何かを撮りどかんと発表し入場券というものを持たない人々を巻き込んで皆をその渦の中心へとナチュラルに引き込ませる。まるで空がきれいだと意味なく空を見上げ「うふっ」と微笑むように。
アア、うらくや。

国内をはじめ国外でも同様のメッセージを伝え歩くのはまさに宣教師のようであって、それでいて移動遊園地のよう。だが、その舞台の巡礼地はどこもその多くの「神様からの贈り物」を待っているのだろう。それが黄色い風が吹くモンゴルの平野であったり、ネオン輝く錆びれたニューヨークの摩天楼であったり、荒涼とした城壁のヨーロッパの古都であったり、美しい花が切られゆくこの贈り物が届かない悲しい檻の大陸であったり。

笑顔が咲き乱れる。
それらが咲き乱れる。
それはそれらが渇いた大地だからだ。
アートはあまりにもネガティブに向かった。
だからこそハートはポジティブを求める。
蒔いた種子はやがて根をはり茎をのばして蕾を蓄え花を咲かせる。
たとえその花が枯れたとしても、
そこにまた新たな花のストーリーが生まれる。
その咲いた花を見て人は何と言うだろうか。
「シット」と言うか、
「メリー」と言うか。
今、人は何と言うのだろう。
「メリー!」と言えば、
氏はカメラをパチリと撮るだろう。


              十 一(日本画家)


少女が口笛を吹いている
産まれたばかりの赤ちゃんがお母さんに抱かれて眠る
ブランコにのる
青空にひこうき雲がみえる
そんなメリー
そんな、メリー




犬について話そうと思う。

それはこういったことから始まるわけだが、まあ、その詳細はここでは記さない。
なぜならそれが一番手っ取り早くよりわかりやすくなるはずだから。
うん、長い演説はよく嫌われるし。

お友達が犬を3匹飼っている。
たまに見て微笑んだりする。
お友達は彼らを犬の人と言う。
だからぼくもつられて犬の人と言う。
いっしょに散歩に行ったりもする。
そしたら彼らはたのしいほどよく走る。
ゲーゲー言って疲れて帰ってくる。
でも、
いつも、
いつも、
彼らの目はピカピカと輝いているのだ。
がしかし疲れていてもまたがんと飛びかかるようにこちらに向かってくるのには参ったりするがそんな彼らがぼくは好きだ。

こんな話もしよう。

あるとき彼らがお友達の家から脱走した。
ぼくはそのときそのお友達の家に偶然いて、
脱走した彼らをひたすら一緒に探した。
深夜になっても見つからず、
暗い町を行ったり来たりして、
お友達は平常心を装いながらも心配で常に黒目がキョロキョロとし、ぼくも他人事ながら生きたここちがしなかった。
「ま、帰ってくるさ」と、ぼく。
「そうね」と、お友達。
何事もなかったかのように時間が過ぎて、
次の日の夜電話が鳴った。
ひそひそ話すお友達の声が次第に大きくなり、
ワクワクするような叫びに近くなり!
ぼくたちは走って彼らを迎えに行ったのだ。

彼らはそこにいた。
泥のようにぐったり疲れていながらも、 ぼくたちを見るとすくっと立ってしっぽを振った。
きっと彼らにとっての冒険だったに違いない。
後で聴いた話だと、
かなり多くの知人や面識のない人までも彼らを探していたということだ。
その夜見つけたぼくたちはただお互いに、
「よかったねよかったね」
とまるでその言葉しか知らない子供みたいに言いあっていた。
そして、
ありがとう、と。

3匹の犬は今も元気にしているのだろうか。
彼らはいつもぼくをしっぽを振って迎えてくれる。
今はどうしているかしら?
あの夜小さな冒険から彼らを迎えに行ったときのように、今もまたあの小さく黒い目をピカピカと輝かせているにちがいない。

犬のお話はこれから始まる。
だが、くどいことはここではやめておこう。
なぜなら、
犬と人、
人と犬。
その組み合わせがあればそれだけ物語りがあるはずだから。

あなたは犬を好きに違いない。
だって、
犬はあなたが好きなのです。

そしてだれかがこう言った。
「ときに私はこう思う、犬になれたらいいだろうと。なぜなら彼らはゴマをするかわりにしっぽを振れるのだから」