Merry in NEW YORK > Merry minds from NYC


展覧会に合わせ発行されるフリーペーパーにN.Y.の女の子達が"Merry"をテーマに文章を 寄せてくれました。 フリーペーパーには女の子達の文章が掲載されています。 その彼女たち6人の文をご紹介します。

Gillian Gorman (ジリアン・ゴーマン)

Part I: 幸せとはふわふわと舞い降りる雪のように、不完全で重量感はなく、順応性はあるが不安定なもの。私は丁度バス停でつぶつぶの赤い小石を唇で包み込む様に食べるドライクランベリーと同じ様に幸せを食べる。私の腹部はまるで敷石に咲くしおれた花の花びらを摘むように身をかがめて机に張り付く。自然は幸福そのもの。それは人間が浸れる歓楽を作りあげてくれる。人間は有形でない幸福というものを所有することは出来ない。むしろ実体するものを通して姿を見せるものであって、幸福そのものは物体ではないのだ。

Part II: 幸せは私の口を開かせる。口角が開き、幸せが混じり、みなぎるきれいな空気をすこしづつ吸い込む。頭のてっぺんが熱くなり、額はキスされようと上を向く。幸せは口から口へと広がっていくものと私は感じる。唇は体の入り口であると同時に幸福と音があふれでる。幸福の核はコミュニケーションである。それは活発であったり、そうでなかったりする体の相互関係であることは明らかであり、それは環境へ順応していくための力の交換である。幸せとは見返りを期待するものではなく、分け隔てなく与えられるもの。幸せとは窓辺にある私のキャンバス上の黄色と紫のクレヨンのように拡がっていく。それは繊細に元の形を維持しながらも新しい場所に融合していく。アートは幸せから力を与えられる。意思の疎通によって与えられる力によって。アートは1個人の幸せの仕組みを物語っている。アートを発表することによって幸せは広く人々に行き渡り、その彼等から彼等のエネルギーを与えられる。

Part III: 私は丁度下着の でいられる6月の様に、心地良い幸せの中に目覚める。幸せについて私がおもしろおかしく語るのは、言葉には重みというものは存在しないと思うから。ぽつんと雫を落とすように幸せというものは全体に広がる、例えば、体に染み渡り、そして手足に、空気の中に。幸せとは、言葉に頼ったものというよりは寧ろ触れて実感できる経験のようなもの。一作家として、理性的な行程を抜きにしては、言葉によって幸せを書き出すということは不可能だと実感する。というのは、読んでる側がその文章自体よりも逆にその文章に幸せを与えているから。定義を無視して隠喩を利用すれば、物理的に曖昧な幸福についても私は話せるような気がする。

Finale: 幸せは、前向きな気持ちを容認したり行使すべく、私達の内側を刺激しながら胃の中を洗い流す  いで描くものだ。幸せは、私達全体に染み入るように私達の指先を輝かせる。幸福にあるとき、私達は悲観的でなく楽観的に気をまぎらわしている。私達は色々な物質や雪片と共にフワフワと浮遊してる様なものである。幸せが息吹と一緒になってこのページに滲み出てくる。幸せとは生きていること。

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